「雪華図説」とは江戸時代後期に古河藩主(茨城県古河市)が雪の結晶を観察し、その模写図と研究内容を記載した自然科学書ですが、理学部にも中谷宇吉郎が作成した「雪華図説」があります。
中谷宇吉郎は、自らが観察した雪の結晶の写真と古河藩主の模写図を比較し、当時の研究が優れたものであると語っています。そして、この事実に感銘を受けた中谷は、自身の研究主題である「雪の結晶」を昭和36年、墨絵に仕上げました。その後、この墨絵は複製され、昭和54年(理学部創立50周年の前年)に中谷の妻から寄贈されました。現在は「科学者の眼と芸術家の心が一つに融合した絵画」として、理学部本館(総合博物館)一階の「中谷宇吉郎展示室」*に保管されています。
墨絵には、六角形の板状のほかに、鉛筆のような柱状のもの、つづみ形のものなどがあり、計19種類の雪の結晶が描かれています。雪の結晶に同一の形は二つとしてないといわれ、中谷が観察した雪の結晶の写真は実に三千枚にもおよぶそうです。
展示室には、中谷と弟子たちが実験等に使用したスキーも飾られています。このスキーは長さ123㎝、幅20㎝で、スキーというよりはスノーボードをコンパクトにした形で、裏面に3本の溝があり、芳賀スキー製であることを示す刻印があります。
展示室に飾られているスキー
展示されているスキーは片方のみで、もう片方は中谷とゆかりのある大分県湯布院の老舗旅館、亀の井別荘の「雪安居(せつあんご)」に扁額として掲げられています。「雪安居」は中庭にある茶屋風の建物ですが、これは、旅館の社長が中谷の甥であったことから、東京・原宿にあった中谷の住まいの一部を移築して保存したものです。
なお、この扁額の書は、茅誠司(初代理学部教授、のちの東大総長)の揮毫によるものです。
雪安居の扁額
茅の話によると、中谷の雪の研究は、着任した昭和5年の暮れに実験器具等を作る施設へ行く途中の寒い渡り廊下で、降ってきた雪片の写真を撮ったことから始まったそうです。そこに写る雪の結晶から天空の気象状態を知ろうという構想が起こり、これが「雪は天からの手紙である」という考えに至ったのでしょう。
気象条件(主として気温と水の蒸気圧)を変えて、どのような雪の形ができるかを確認するために、低温室を作り人工雪の制作に取り組みました。この研究が核となって低温研究所が作られ、現在の低温科学研究所となり、今なお低温下での様々な研究が続いているのです。
(文:北海道大学理学部同窓会 事務局長 髙橋克郎)
*展示室は常設展示ではありませんのでご了承ください。
タイトルの写真は中谷宇吉郎画「雪華図説」
理学部広報誌「彩」第6号(2020年2月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物