そうだったのか理学部誕生(前編)

北大理学部は1930(昭和5)年に設置さ れ、今年で88年目を迎えます。人でいうと米寿のお祝いにあたります。米寿の節目に理学部の誕生の頃を振り返ってみましょう。


当時、北海道帝国大学として農学部、医学部、工学部がすでに設置されていて、 理学部は4番目の学部として誕生しました。

北大理学部は国の政策によるものではなく、大学自らが強く望んで設置されました。農学・医学・工学という応用科学 の中心となるべき基礎科学部門の早急な設置という、純粋な学問的欲求が原点です。初代総長佐藤昌介を中心に学内協議を重ね、理学部設置を文部省(現在の文 部科学省)に働きかけました。その結果、 1926 (大正15)年の帝国会議で承認され、東京、京都、東北に続く帝国大学として4番目の理学部設置が決まり、誕生したのです。

1927(昭和2年)4月に東北帝国大学理学部長真島利行を長とする創立委 員会が設置され、教員の選考を開始、同年8月には教員候補者が内定したことから、関係者による打ち合わせ会議が青森県浅虫温泉で行われました。これはのちに「浅虫会議」と呼ばれるようになります。

また、教員候補者に内定している人は文部省在外研究員として欧米各地にそれぞれ2年間留学していましたが、1929 (昭和4)年8月にパリに集合し、理学部 の規定や予算を検討する会議を行いました。「パリ会議」と呼ばれるこの会議は「理学部第1回教授会」とも呼ばれてます。

そして、1930(昭和5年)に開学しました。当時の教官は出身大学にこだわらずに優秀な人を集めていたからか、中谷宇吉郎、茅誠司など、後に有名になった人が多くいました。

北大理学部の誕生までの経緯がこれでよくわかってもらえたでしょうか。後編では理学部の建物についてお話しします。

 

(文:北海道大学理学部同窓会 事務局長 髙橋克郎)


※タイトルの写真はパリ会議

理学部広報誌「Sci」第3号(2018年7月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物

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