入学した頃、純粋な知を追求することへの憧れから、基礎的な学問を専門にしたいと思っていました。当時、文部科学省の「理数応援ニューフロンティアプロジェクト」があり、1年生から数学科の教員のバックアップのもとで自主ゼミを行うことができました。数学書の読み方やゼミの進め方を学び、一緒に競い合える仲間ができたことが後の進路を決定づけました。2年生になり数学科へ進学し、大人になっても夢中で好きなことや知りたいことを追求する人たちがいることをそこで知りました。恩師の朝倉政典教授との出会いも影響し、将来は大学に職を得て数学の研究や勉強を続けたいと思うようになりました。
現在は、民間企業で最先端の暗号技術を研究しています。大学院生活の終盤で様々な人と出会い、暗号分野への転身の機会を得ました。日本は数学者の社会活用が遅れているとちょうど思い始めていたころです。数学の専門知識を下地に異分野で活躍できれば、社会と数学を繋ぐ一つのロールモデルを後進に示せると考えました。しかし、それまで膨大な時間をかけて進んできた道から別の道へ舵を切る決断はその時の僕にとって容易ではありませんでした。新しい世界で上手くいく保証は全くありません。また、数学のコミュニティが自分にとってコンフォートゾーンとなっていたことも否めませんでした。
シェイクスピアの『ハムレット』の「覚悟が全てだ」(ちくま文庫の松岡和子氏の訳)という言葉が背中を押しました。変化や新しいことへのチャレンジにはリスクが伴います。人は「ダメそうなら元の道に戻れるように……」と保険をかけがちです。しかし、人生の重要な局面において、それでは何もモノにすることはできないし、チャンスを掴むこともできません。幸運の女神には前髪しかないといいます。不退転の覚悟をもって、僕は異分野へ飛び込む決意をしました。はじめは暗号分野特有の考え方や習慣にとまどいましたが、根気強く勉強を続けた結果、暗号研究において国内トップの一角をなす三菱電機で研究者としてのスタートを切ることができました。現在では、朝倉先生に叩き込まれた数学の基礎力を軸とし、数学×暗号の分野横断的視点や手法が研究者としてのオリジナリティとなっています。
僕たちの生きるこの時代は、数年先を読むことすら困難です。環境が目まぐるしく変化する中で、時には難しい選択を迫られることもあるでしょう。しかし、それはチャンスです。覚悟を決め、より困難な道を選ぶことをお勧めします。もしそれが思い描いていた夢を諦めることであったとしても、後悔のない道とは、えてしてそのような道だと、今では思います。
基礎学問を扱う理学部で学ぶ知、および原理・根本から問う姿勢は普遍的で、あらゆる時代や領域で活用できると信じています。僕も数学科で身に付けた基礎のおかげで、変化とチャレンジを楽しめる刺激的な日々を送っています。みなさんも生涯にわたって強力な軸となるものを理学部で身に付け、それを武器に道を切り拓いていってください。
相川勇輔さん
2013年、理学部数学科卒業。2019年、理学院数学専攻博士課程修了。博士(理学)。
現在、三菱電機株式会社 情報技術総合研究所 / JST ACT-X/立教大学 兼任講師。
理学部広報誌「彩」第8号(2022年8月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物
※肩書、所属は広報誌発行当時のものです。