理学部本館を設計した営繕課長

タイトルの写真:旧庁立図書館、現在は北菓楼札幌本館(札幌市市民文化局文化部所蔵)


理学部本館の建築工事は、北海道大学営繕課長萩原惇正の設計監督のもとに行われたと「北大理学部五十年史」に掲載されています。今回は営繕課長として理学部本館の設計、監理の大任を果たした萩原惇正氏について紹介します。


昭和2年4月に理学部創立委員会が設置され、建築設計や教官候補者も内定したことから、同年8月10日に青森県浅虫温泉で関係者の打ち合わせ会議が行われました。関係者は東京、仙台、札幌の3か所から集まることから、浅虫の地が選ばれたそうです。浅虫駅前の東奥二階大広間を会場とし、萩原課長持参の青写真を中心にして、部屋割りについて熱心な討議が2日間続けられました。

萩原惇正は明治44年に関西商工学校を卒業後、大阪の建築事務所で建築設計技術を習得し、6年後の大正6年に大蔵省臨時建築課、大正9年に文部省大臣官房建築課に採用され、神戸高等商船学校(現在は神戸大学海事科学部)、神戸大学姫路分校(昭和39年廃止)の工事設計に従事しました。

大正12年に北海道庁土木部建築課に赴任し、旧北海道庁立図書館(現在は北菓楼札幌本館)を設計しました。

4年後の昭和2年6月に北海道帝国大学より「理学部新営工事に関する設計及び監督」の嘱託を受け、その8月に任命され、営繕課長として理学部本館の設計、監理の大任を果たしました。

4つのレリーフ

外壁をスクラッチタイルとテラコッタで覆われたゴシック風の建物の正面玄関を入ると、大理石の柱とらせん状の階段に沿って3階まで続く吹き抜けとなっています。この3階白壁に4つのレリーフが飾られているのは、萩原課長の発想によるものです。それぞれ、朝・昼・夕・夜を意味するフランス語が記されており「昼夜を問わず、研究に励み世界の理学研究のメッカにしたい」という創設当時の研究者の理想を象徴しているといわれています。

理学部本館が完成した後、萩原惇正は農学部本館、杉野目晴貞邸(平成25年に国の登録有形文化財に指定)の設計を手がけました。

旧北海道庁立図書館及び杉野目晴貞邸はさっぽろ・ふるさと文化百選に指定されており、北海道の建築史に名を残しましたが、北大を離れた後の後半生についての記録が少ないことが残念です。

※青写真:コピー機が普及する前の複写方法で青色に発色する塩化鉄などを利用して、焼き付ける複写技術。今は、完成予想図という意味でも使われている。

(文:北海道大学理学部同窓会 事務局長 髙橋克郎)


参考文献:『北大理学部五十年史』国登録有形文化財杉野目家住宅

理学部広報誌「彩」第10号(2024年2月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物

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