※タイトルの写真:石炭を運搬して北大構内を走るSL(北海道大学大学文書館所蔵)
北大は構内に農場もあり広大な敷地を有しますが、この中をSLが走っていたことをご存知でしょうか。北海道大学構内鉄道引込線と言われており、1952年3月から1964年3月までの12年にわたり石炭を輸送していました。
当時の燃料の主役は石炭であり、北大でもボイラーの燃料として毎年膨大な石炭を消費していました。この輸送のための引込線は、桑園駅から農学部裏に入り理学部裏(現在の6号館、8号館前)を通り、ポプラ並木をかすめ工学部の北側で右にカーブして終点の貯炭場(現在のフロンティア応用化学研究棟付近)まで総延長1500mに達していました。
当時の桑園駅は札幌駅の混雑緩和のため貨物を取り扱っており、駅前には倉庫が建ち、運ばれてきた石炭や木材が山積みになっていました。
暖房用石炭の運搬列車は秋から冬の間に運行されていました。4月に入学した新入生は、半年が過ぎて大学生活に慣れたころに、突如出現したSLにさぞ驚いたことでしょう。石炭車は10両前後の編成で、蒸気機関車は9600、C55が走っていたようです。C55-50形蒸気機関車が牽引していた写真が北海道大学大学文書館に保管されています。
C55形蒸気機関車は、主要な交通網である幹線むけの急行旅客列車用機関車として、1935年〜1937年に62両が製造されました。旅客列車用のため、直径1750㎜のスポーク動輪が採用され、日本の本線用大型蒸気機関車として最後のスポーク動輪採用形式となりました。また、この当時は鉄道車両の流線形ブームが起きていました。これは美観とともに高速化に伴う空気抵抗を減らすことを目指したもので、その流れに沿ってC55形も21両が流線形デザインで新造されました。このような旅客用の大型蒸気機関車が北大キャンパス内を走っていたことには驚きます。
北大を引退後は、旭川機関区に配属され、旭川〜稚内間で急行「利尻」を牽引し、全国的に蒸気機関車が廃止されるまで活躍しました。廃止後、多くの蒸気機関車は解体されましたが、C55-50形は運よく解体を免れました。小樽の北海道鉄道記念館(現在は小樽市総合博物館)に保存され、現在もその姿を見ることができます。
(文:北海道大学理学部同窓会 事務局長 髙橋克郎)
参考文献:北大の1 2 5 年(北海道大学125年史編集室編)
理学部広報誌「彩」第8号(2022年8月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物