タイトルの写真:中島公園西宮庭園で行われた理学部総会(北海道大学大学文書館所蔵)最前列左から内田亨氏、鈴木醇氏、中谷宇吉郎氏、杉野目晴貞氏
理学部同窓会は1950年に創設されました。それ以前は理学部開学(1930年)と同時に「理学部会」が発足していました。理学部会は全教職員・学生で構成され、運動会や遠足の他、会誌も発行していました。今回はその記録を紐解き、当時の理学部会の様子をお伝えします。
1932年の創刊号で当時の田所哲太郎学部長は、「理学部の学科は自然科学の分科に過ぎなく、各自が独立して存在しえないことから、教員・学生が常に交誼を厚くし相互扶助の精神であるべきである。然るに徳育の涵養及び体育の錬磨も必要であり、これが理学部会の目的である。」と述べています。
理学部会の活動については、同窓会誌22号で丹羽貴知蔵氏が「理学部創立50周年に際しての回願」と題して詳しく紹介しています。丹羽氏は化学科の一期生で、卒業後は本学の教員を務め、1968年から理学部長、1971年から4年間学長を歴任しました。
丹羽氏の回願は、1930年(開学年)4月に高校の級友と大阪駅を出発するところから始まります。日本海経由で40時間かけて翌々日の正午前に札幌に到着したとのことです。当時、同氏は、桑園尋常小学校(現在の桑園小学校)の近くに下宿し、級友と中古のテニスラケットを購入し、小学校の校庭で練習していました。そのおかげで、9月25日に理学部南側に新設されたテニスコート開きに参加することができました。開学式の直前にテニスコートが完成していたとは驚きです。
その2日後、9月27日の開学式に「理学部会」が正式に発足しました。早速、翌月に秋季遠足が行われ、江別より石狩川を船で下り、鮭漁の見学、鮎料理を堪能しました。1932年に入ると三期生も入学して学生が揃ったことから、新入生歓迎会を兼ねた総会という名の運動会が中島公園西宮庭園で行われました。翌年は第1回卒業生を送り出すこととなり、2月に送別スキー大会、3月に会議室で送別会が行われました。
次第に学生、教職員も増え1935年は5月に総会が三井クラブ(現在の知事公館)で、翌2月にグランドホテルで卒業生送別会を催すという発展ぶりでした。しかしこの後、1937年の盧溝橋事件により国内は急速に戦時体制となり、学内にも召集令状が届くようになりました。理学部教職員の応召者も増えてきたことから、理学部会は解散し、会誌も創立10周年記念号を最後に廃止となりました。その後、13年余りの歳月を経て、1950年の創立20周年に同窓会が誕生し、現在に至っています。
(文:北海道大学理学部同窓会 事務局長 髙橋克郎)
参考文献:理学部会誌創刊号(1932年度)、理学部同窓会誌11号(1980年度 理学部創立50周年記念号)
理学部広報誌「彩」第11号(2024年8月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物