タイトルの写真:「理学部長を辞任するにあたって」が掲載されている同窓会誌
1990年代初頭、北海道大学では「大学院重点化」という大改革が進められました。理学部はその中心的役割を担い、1970年代から続く改革の理念をもとに、新しい理学研究科・理学部の体制を築き上げていきます。
1993年、理学部の創設から半世紀以上を経て、北海道大学では「大学院重点化」と呼ばれる大きな制度改革が行われました。従来の学部を基盤にその上に大学院が置かれる構造から、大学院を中心とし、その下に学部を位置づける体制へと再編されたのです。この改革により、教員の所属は学部から大学院へと移り(「理学部教授」から「理学研究科教授」へ)、学部での講義は大学院教員による兼任となりました。さらに、大学院の学生定員や教育・研究費も増加しました。
きっかけは1980年代末から日本の学術研究の国際化が十分ではないとの指摘が相次いだことにあります。これを受けて大学審議会が「大学院の整備充実・重点化」の必要性を提言しました。これを踏まえて、当時の文部省が学部と大学院を連携させ、より柔軟な教育・研究活動を可能とするための制度改革を計画しました。さらに国立大学に対して博士課程定員の見直しを通知し、大学院の拡充を推し進めました。
当時の廣重 力総長は、各学部の大学院重点化の推進を大学の最重要課題と位置づけ、この改革を「北大ルネサンス」と呼びました。理学では、1993年4月に理学研究科生物学専攻が大学院重点化構想の先陣を切ってスタートしました。同時に理学部、触媒化学研究センター、低温科学研究所など8つの組織の研究者が連携し、新たに地球環境科学研究科が設置されました。理学研究科における重点化は生物学専攻から始まり、翌1994年には物理学専攻および地球惑星科学専攻、1995年には数学専攻、化学専攻へと拡大し、学内で最初に重点化を完了しました。
実は理学研究科の大学院改革は1974年9月に提出された「野口構想」から始まっていました。当時の野口順蔵理学部長は、教員定員の削減が進む中で大学院教育の負担が増大していたことから、学部所属の大学院担当教員の体制を見直し、理学研究科専攻所属へと格上げしました。その後、理学研究科将来計画委員会が設置され、26 回にわたる検討を重ねた結果、次のような理念が示されました。すなわち「大学院に重点をおいた教育研究組織を構築しつつ、大学院の基礎となる学部教育も充実させること」、そして「学部と修士課程を連続的かつ一体的にとらえ、効果的な学部・大学院教育カリキュラムを編成すること」です。
この理念を受けて、当時の堀 浩理学部長は理学の改組にとどまらず、理学と関係のある環境科学研究科や教養部を含む三つの部局にまたがる改革・改編に取り組みました。そして1993年4月に初代の地球環境科学研究科長に就任しました。また、同年3月の教授会における理学部長辞任の挨拶は「理学部同窓会誌 35 号」に特別寄稿として掲載されました。


参考文献 : 北大125年史、北大時報(第469号)
理学部広報誌「彩」第13号(2026年2月発行)掲載。>理学部 広報・刊行物