ポイント
• 植物が放出する揮発性物質trans-2-hexenal(T2H)を短時間処理すると、その後の致死的な高温ストレスに対する耐性が高まることを確認。
• 通常の高温プライミングに重要な転写因子HSFA2が機能しにくい植物でも、T2Hによる高温耐性は維持されることを発見。
• T2Hは、従来知られている「熱の記憶」とは異なり、解毒・酸化還元応答、免疫応答、WRKY/MAPKシグナルなどを含む別のストレス応答ネットワークを利用している可能性を示した。
概要
形態機能学系のBarbaruah Baibhavさん、大島考創さん、Bhanu Rekha Vaddiさんと伊藤秀臣准教授は、植物が放出する揮発性有機化合物の一つであるtrans-2-hexenal(T2H)が、これまで知られていた「熱の記憶」とは異なる仕組みによって植物の高温耐性を高めることを明らかにしました。
植物は、あらかじめ穏やかな高温を経験すると、その後により強い高温に遭遇しても生存しやすくなります。この現象は高温ストレスに対する「プライミング」や「記憶」として知られており、転写因子HEAT SHOCK FACTOR A2(HSFA2)が重要な役割を担っています。
研究グループは、モデル植物シロイヌナズナを用いて、葉が傷ついた際などに放出される「みどりの香り」の成分であるT2Hに着目しました。植物体をT2Hに30分間さらし、その後2日間回復させてから致死的な高温ストレスを与えたところ、野生型だけでなく、HSFA2の機能が低下したhsfa2変異体でも高い生存率が維持されました。一方、通常の穏やかな高温によるプライミングでは、hsfa2変異体の高温耐性は大きく低下しました。さらにRNAシーケンス解析から、穏やかな高温処理が広範囲な遺伝子発現変化を引き起こすのに対し、T2Hはより選択的な遺伝子群を活性化することが分かりました。特に、解毒・酸化還元応答、免疫応答、低酸素応答様の遺伝子群や、WRKY及びMAPKに関連するストレスシグナル経路がT2H処理で特徴的に認められました。
本研究は、植物の高温耐性が従来知られていたHSFA2を中心とした「熱の記憶」だけによって成立しているわけではなく、植物自身が発する揮発性化合物を利用した別の耐熱化経路が存在する可能性を示すものです。今後、この仕組みの詳細を明らかにすることで、高温障害を軽減する新しい植物ストレス制御技術につながることが期待されます。
研究の背景
研究グループは、モデル植物であるシロイヌナズナを使い、植物の高温耐性に重要な役割をもつHSFA2という遺伝子に注目しました。通常の植物と、HSFA2の働きが弱くなった変異体に対して、あらかじめ軽い高温を与える方法と、植物が発する揮発性物質の一つであるT2Hを与える方法を比較しました。その後、2日間通常の温度で育てた後、45℃の強い高温ストレスを与え、生存率を調べました。
通常の植物では、軽い高温をあらかじめ経験させた場合も、T2Hを与えた場合も、その後の強い高温に耐えやすくなりました。一方、HSFA2の働きが弱い植物では、軽い高温による耐熱性は低下しましたが、T2Hを与えた場合には高い耐熱性が保たれていました。葉の緑色の面積やクロロフィル量を調べても、同じ傾向が確認されました。
さらに、高温ストレスに応答する代表的な遺伝子の働きを調べました。その結果、T2Hによる耐熱性は、植物が通常の高温ストレスを受けたときに働く遺伝子が単純に強く活性化したためではないことが分かりました。実際、HSFA2の働きが弱い植物では、重要な高温応答遺伝子HSP101の働きが低下していても、T2Hによる高い耐熱性は維持されていました。
また、植物の遺伝子全体の働きをRNAシーケンスによって調べると、軽い高温処理では約2,000~3,000個の遺伝子が大きく変化したのに対し、T2Hによって変化する遺伝子はより少ないことが分かりました。
これらの結果から、T2Hは植物に「高温を経験したのと同じ状態」を作るのではなく、高温応答の一部に加えて、酸化還元反応や解毒、免疫など複数の仕組みを組み合わせることで、独自の「高温への備え」を作り出していると考えられます。つまり、植物は実際に高温を経験しなくても、空気中の化学物質を受け取ることで、その後の高温に備えることができる可能性が示されました。
今後への期待
本研究によって、植物の高温耐性には、HSFA2を中心とする従来型の「熱の記憶」とは異なる経路が存在し、植物由来の揮発性物質T2Hによってその経路を誘導できる可能性が示されました。ただし、今回の遺伝子発現解析は主としてT2H処理直後の状態を解析したものであり、どの分子が2日間にわたって情報を維持し、最終的な高温耐性を生み出しているのかはまだ明らかになっていません。今後、WRKYやMAPKシグナル、酸化還元制御、解毒系などの候補経路を遺伝学的・生化学的に検証することで、T2Hによるストレス記憶の実体を明らかにする必要があります。
将来的には、植物が本来持つ揮発性化合物を利用してストレス耐性を事前に高めるという考え方が、高温環境下での作物保護や、新しい植物プライミング技術の開発につながる可能性があります。
論文情報
論文名:Trans-2-hexenal priming supports HSFA2-independent thermotolerance in Arabidopsis thaliana
著者名:Baibhav R. Barbaruah, Koso Oshima, Bhanu Rekha Vaddi, Hidetaka Ito
掲載誌:Journal of Plant Research(2026年9月20日)
DOI:10.1007/s10265-026-01755-8
用語解説
*1 trans-2-hexenal(T2H)
植物の葉が傷ついた際などに放出される揮発性アルデヒドの一種。green leaf volatile(GLV)と呼ばれる「みどりの香り」を構成する物質の一つで、周囲の細胞や植物のストレス応答を誘導するシグナルとしても研究されています。
*2 プライミング
植物があらかじめ比較的弱い刺激を受けることによって、その後に強いストレスを受けた際、より迅速または強力な防御応答を示す現象。
*3 HSFA2(Heat Shock Factor A2)
植物の高温ストレス応答を調節する転写因子。特に、一度受けた高温刺激の効果をその後も維持する「高温ストレス記憶(thermomemory)」に重要な役割を果たします。
*4 RNAシーケンス(RNA-seq)
細胞や組織で発現しているRNAを網羅的に解析し、どの遺伝子の働きが増加または減少しているかを調べる方法。

発芽後3日目のシロイヌナズナに、弱い高温処理または植物由来の揮発性物質 trans-2-hexenal(T2H)を30分間与え、2日間通常条件で回復させた後、45℃・30分の強い高温ストレスを与えました(A)。 通常の植物(Col-0)では、弱い高温処理とT2H処理のいずれによっても、その後の高温ストレスに対する生存率が大きく上昇しました。一方、高温ストレスの「記憶」に重要な転写因子HSFA2を欠く変異体(hsfa2)では、弱い高温処理による耐熱性は低下しましたが、T2H処理では高い生存率が維持されました(B)。 これらの結果から、弱い高温によるプライミングはHSFA2を介した従来型の「熱の記憶」に依存するのに対し、T2HはHSFA2とは異なる防御経路を利用して植物を高温ストレスに備えさせると考えられます(C)。