「今晩何を食べるか」「どの仕事から手をつけるか」、私たちの日々の暮らしは意思決定の連続です。私たちは普段、最適な行動を選択すべく、過去の経験をもとに物事に価値づけをしています。しかし、私たちはどうやって物事の価値を決めているのでしょうか?
生物科学科/生物学の田中 暢明 准教授とシュライアー ミヒャエル 助教らの研究を紹介します。
例え話として、小さな子どもが親戚の家を訪問する場面を想像してみましょう。まず、おじさんに会いに行ったら百円のおこづかいがもらえました。嬉しいですね。でも別のおばさんの家に行ったら千円のおこづかいがもらえました。すると、次にまた最初のおじさんに会って百円をもらっても、「なあんだ、たった百円か。」とがっかりしてしまいます。もしかすると、またおじさんの家に行こうと母親に誘われても「嫌だ、家にいたい!」と答えてしまうかもしれません。その場合、おじさんから「がっかりな」おこづかいをもらうよりも、何も得られないことを選んだことになります。このような現象は心理学的に研究されていて、Relative value learning(相対的価値の学習)と呼ばれます。つまりヒトは得られる報酬のそのものの価値(絶対的価値)ではなく、とある文脈において得られる2つの報酬を比較してどれほど良いか劣るか(相対的価値)をもとに物事に価値づけをしているのです。私たちの脳がそのように進化したのは、絶対的価値をひとつひとつ保存するよりもその方が柔軟に対応でき、効率的であるためではないかと考えられています。
相対的価値学習はホニュウ類と鳥類で観察されていることから、脊椎動物において広く保存された価値づけの処理機構であると推測されています。一方で、無脊椎動物である昆虫が異なる報酬の価値を比較して、相対的な価値を学習できるかを調べた例はこれまでありませんでした。昆虫の脳は小さく、構造的にも脊椎動物の脳とは非常に異なるため、そのような複雑な処理能力は持っていないと思われてきたとも言えるでしょう。
キイロショウジョウバエの幼虫は1万個程度の神経細胞しか持たず、行動神経学的研究における優れたモデル生物です。そこで私たちは、キイロショウジョウバエの幼虫を使った味と匂いの古典的連合学習の系に手を加え、幼虫が絶対的価値と相対的価値のどちらを使って学習しているか調べました。その結果、ハエの幼虫は提示された2種類の報酬の相対的な価値を匂いと結びつけていることを示唆する行動を示しました。同様の結果は報酬学習のみではなく、嫌悪学習でも、また異なる匂いの組み合わせやトレーニング回数でも観察されました。
私たちが行った実験には、冒頭の子どものおこづかいの例に示したのとよく似たシチュエーションも含まれていました。2つのうち少ない方の報酬と匂いを連合学習させた場合です。この時、幼虫は学習した匂いを避ける行動を示しました(図1Aの左側の実験例に相当)。わかりやすく言い換えると、本来ならば何も得られないよりは少ない報酬を受け取りに行く、つまり匂いに向かって行った方が得策であるはずですが、少ない報酬に「がっかり」した幼虫は逆の行動を示したということになります。私たちの発見は、学習の際に脳が報酬に価値づけをする機構は昆虫の幼虫からヒトまで、広く動物界で共有されたものである可能性を示唆すると言えるでしょう。
相対的な価値を学習するための神経機構はまだ解明されていません。少数の細胞で構成された脳を持ち、便利な遺伝学的ツールが使えるショウジョウバエの幼虫は、神経機構を解明するための今後の研究に大いに役立つでしょう。私たちの発見が、そのための第一歩となると期待されます。

(A)実験手法を簡略化した図。幼虫が2種類の匂い(雲のイラストで表現)に対してそれぞれ異なる濃度の糖と連合学習するようトレーニングを行った。その後、片方の匂いに対する誘引度を測定した。
(B)本研究で得られた結果のひとつ。学習した匂いへの誘引度は、トレーニング中に連合づけた糖報酬の相対的な価値に依存する。
【論文情報】
論文名:Relative value learning in Drosophila melanogaster larvae.
著者名:Rahman S, Tanaka NK, Schleyer M
雑誌名:Proceedings of the Royal Society B
公開日:2026年2月4日
DOI:https://doi.org/10.1098/rspb.2025.2263