行動神経生物学分野(生命システム科学コース行動制御科学分野)の小川宏人教授らの研究グループは、活動電位を発生しないノンスパイキングニューロンと呼ばれる神経細胞の気流刺激に対する反応を可視化し、刺激の方向選択性が細胞の部位によって独立していることを明らかにしました。この論文は生物科学科卒業生(2021年3月卒業)で、生命システム科学コース修士課程修了生でもある白旗洸太さん(2023年3月修了)の研究成果であり、European Journal of Neuroscience誌に2025年11月19日オンライン公開されました。
私達の脳の中にある神経細胞は活動電位と呼ばれる急激な電位変化を信号として伝え、様々な情報を処理しています。ところが、神経細胞の中には活動電位を発生せず、緩やかな電位変化(緩電位:graded potential)を媒体として用いる、ノンスパイキングニューロンと呼ばれる種類があります。私達の場合は、基本的に、感覚受容ニューロンや網膜内など感覚表面にごく近い場所にしか、ノンスパイキングニューロンは存在しません。ところが、無脊椎動物では中枢神経系内にもノンスパイキングニューロンが存在し、特に昆虫などの節足動物では、ノンスパイキングニューロンが活動電位を発生するスパイキングニューロンとともに中枢神経回路を構成していることが報告されています。
ノンスパイキングニューロンは刺激やシナプス入力に対して、活動電位の代わりに興奮性または抑制性の緩電位変化を示します。活動電位が0または1のデジタルな信号として機能するのに対し、緩電位の変化はアナログな情報を表現することができます。また、活動電位は、遠くまで素早く神経信号を伝えることができますが、緩電位は細胞膜を伝わるうちに急激に減弱してしまうため、その変化は細胞の局所的な領域にとどまります。逆に言えば、活動電位で表現された情報は細胞全体で均一に伝わりますが、緩電位変化は神経細胞内の場所によって異なる反応性や情報を表現することができます。しかし、実際の感覚刺激に対するノンスパイキング・ニューロン内の局所的な応答が、どのように不均一なのか、その空間パターンと反応特性の関係はわかっていませんでした。そこで小川教授らのグループは、コオロギの最終腹部神経節内の気流感覚情報処理回路を構成しているノンスパイキング・介在ニューロンにカルシウム感受性蛍光色素を導入し、カルシウムイメージングによって気流刺激に対する細胞内の局所応答を可視化して調べました。
研究ではLNI-9V-2、LNI-8D-1、LNI-9D-3という3つのノンスパイキング・ニューロンについて調べました(図1)。コオロギの気流感覚器官である尾葉に、周囲8方向から気流刺激を与え、それに対する緩電位応答とカルシウム応答を計測しました。カルシウム反応は細胞内の計測領域によって大きさや時間変化、さらに刺激方向に対する感受性が異なりました。例えば、図2に示した9V-2では、領域1(ROI1)では刺激中とその後にカルシウム濃度が上昇する2相性の反応を示したのに対し、領域2(ROI2)ではカルシウム濃度の減少が見られました。また、領域1は細胞体側後方(135º)に最も大きなカルシウム上昇反応を示すのに対し、領域2のカルシウム減少反応は明瞭な方向感受性を示しませんでした(図2)。

A. コオロギの中枢神経系と実験装置の模式図
B. 解析した3つのノンスパイキング・ニューロン。いずれも最も尾側にある最終腹部神経節(TAG)内に存在する。
A, B.カルシウム濃度変化を計測した2領域(ROI)(A)と周囲8方向から気流刺激を与えた時のカルシウム応答(B)。中央は刺激方向に対する反応の大きさを示すチューニングカーブ。
C. 細胞内の各領域におけるカルシウム反応の方向選択性。各ROIの色は選択性の強さを、矢印はチューニングカーブから算出した選好方向を示す。
そこで、計測されたカルシウム濃度変化について、その時間変化パターンの相関をそれぞれの細胞の全ての領域間で解析し、その相関係数(=時間変化の類似度)と領域間の形態学的距離の関係を調べました。その結果、8D-1と9D-3では、細胞内の距離が遠くなるにつれて反応の時間変化の類似度が減少していくことがわかりました。すなわち、距離が近いほど同じようなカルシウム濃度変化が生じていることになり、緩電位変化の細胞内の伝搬における特性と一致していました。一方、9V-2では細胞体側に樹状突起(=シナプス入力部位)が、反対側に軸索終末(=シナプス出力部位)が存在しますが、その間をつなぐ主軸部分が樹状突起や軸索終末とは異なり、カルシウム減少反応を示したため、そのような相関がみられなかったことがわかりました。一方、同様に気流刺激に対する方向感受性の類似度と細胞内距離の関係を調べたところ、8D-1で細胞内距離との相関はみられたものの、9V-2、9D-3では方向選択性の類似度は細胞内距離と有意な関係は見られませんでした(図3)。すなわち、どの方向からの刺激に対して大きな応答を示すかは、細胞内の位置とはあまり関連しないことが示唆されました。

A, B. 方向選択性機能マップ(A)と階層クラスタリング解析結果を示す樹形図(B)。AのROIの色は、Bで示された3つのクラスタに対応する。 C. 細胞内距離と方向選択性類似度の相関。赤の直線は回帰直線を示す。
気流刺激の方向は、尾葉上の機械感覚器の求心性線維の投射場所(トポグラフィック・マップ)によって空間的に表現されていることがわかっています。脳に気流刺激の情報を伝える巨大介在ニューロンとよばれるスパイキング・ニューロンは、トポグラフィック・マップと自身の樹状突起の位置関係で方向感受性が決定されます。同じように、ノンスパイキング・ニューロンの局所的な反応もトポグラフィック・マップに対する相対位置で決定されていると考えられます。ノンスパイキング・ニューロンが巨大介在ニューロンにシナプス出力していると考えられていることから、細胞内の局所領域がそれぞれ独立して異なる出力を与えている可能性があります。昆虫は数少ない細胞で神経回路を構成するため、1つのノンスパイキング・ニューロンが複数のスパイキング・ニューロンに相当する情報処理を担うことで、その少なさを補完しているのかもしれません。
発表論文
Kota Shirahata, Hisashi Shidara, Hiroto Ogawa (2025)
Subcellular information processing in mechanosensory non-spiking interneurons.
Eur. J. Neurosci., 62: e70331.
https://doi.org/10.1111/ejn.70331