概要
北海道大学大学院理学研究院の和多和宏教授らの研究グループは、自然科学研究機構生命創成探究センター及び生理学研究所の郷 康広教授との共同研究として、歌鳥(鳴禽類スズメ目)で近縁種ではあるが異なった歌パターンをもつキンカチョウとカノコスズメを親として、その異種間交雑したハイブリッドのヒナの発声学習の個体差に着目した研究を行い、生得的な発声運動特性が個体ごとに異なり、それに基づいた発声学習バイアスを持つこと、脳内の興奮性投射神経細胞の遺伝子発現特性が、発声学習バイアスの個体差と機能相関を持つことを明らかにしました。
囀(さえず)り歌を学習によって獲得する歌鳥は、個体発達過程で、同種他個体の歌を学習モデルとして、自発的な発声練習を繰り返し、個体ごとにユニークな歌を学習獲得します。本研究では、親種2種からそれぞれのゲノム遺伝情報を受け継ぎ、遺伝的多様性を人為的に大きくしたハイブリッド個体はどのような歌を学習するのか、その歌発声学習の個体差はいつ現れるのか、そして、その学習の個体差は脳内でどのように表象されているのだろうかといった研究の問いをもって始めました。
これらの問いに応えるべく歌学習環境を統制し、ハイブリッド個体の発声学習の発達過程の詳細を解析したところ、発声学習における個体差は発声運動学習の練習初期から出現し、それが発声学習発達過程を通じて学習バイアスとして、歌発声パターン獲得に影響することが明らかになりました。
さらに、脳内で発声学習に関わる神経回路内のどの脳部位で遺伝子発現に個体差が存在するのか、1細胞(シングルセル)遺伝子発現解析*1を実施したところ、発声運動野から舌下神経核へのグルタミン酸興奮性投射神経細胞に特異的に発声学習個体差を表象する遺伝子発現特性を持つことが分かりました。
生得的に生成しやすい運動特性が動物個体ごとに異なり、これをもとに自分に合った学習モデルを獲得しやすくしていることが今回の一連の研究で明らかになりました。
なお、本研究成果は、2024年1月10日(水)公開のProceedings of the National Academy of Sciences誌(PNAS, 米国科学アカデミー紀要)に掲載されました。
【背景】
動物の学習は、遺伝と環境の両要因の影響を受けます。同じ学習課題に対しても、その学習達成度や学習発達スピードに個体差が生まれることは、ヒトを含めて多くの動物で観察されています。しかし、このような「学習の個体差」が、いつ・どのように顕在化してくるのか、特にこれに関わる脳内神経分子基盤に関して、十分な理解は進んでいませんでした。
【研究手法】
本研究では、囀(さえず)り歌を学習によって獲得する歌鳥を動物モデルとして、その異種間交雑したハイブリッド個体の発声学習に着目しました(図1)。ハイブリッド個体は、親種2種から受け継ぐそれぞれの種のゲノム遺伝情報を半分ずつもつために、大きな遺伝的多様性を持ちます。今回、歌学習環境をなるべく統制し、スピーカーから同じ回数の歌モデルを聞くようにし、親種両方の2種(キンカチョウTaeniopygia guttataとカノコスズメT. bichenovii)の歌を聞くグループ、片方の親種の歌だけを聞くグループに分けて実験しました。また、歌学習過程で生成されるすべての発声行動を自動録音しました。これは、最終的にどのような歌を学習獲得したのかだけではなく、どの発達時点で個体ごとの違いを示す兆候が見られるかを明らかにするためです。
また、発声学習の個体差が確認できた発達時期で、脳内で発声学習に関わる神経回路のどの脳部位で遺伝子発現に個体差が存在するのか、1細胞(シングルセル)遺伝子発現解析を実施しました。
【研究成果】
親種両方の2種の歌を聞いたハイブリッドは、個体ごとに非常に多彩な歌パターンを発達獲得しました。おおよそ6割の個体群は、両方の親種の歌の特徴をもつ中間型の歌を獲得したことに対して、残りの個体群は、キンカチョウまたは、カノコスズメの歌のどちらかのみを学習しました(図2)。
この歌発声学習の個体差は、幼鳥時の発声学習の初期から発声特性(声の高さや、ノイズの多さ、音の長さ等)として現れていました。また、この学習初期の発声特性は、片方の親種の歌しか聞かない生育環境で育っても、ハイブリッドによっては、聞いていない方の親種の発声特性をもつ個体が存在していました。つまり、生まれながらに発声しやすい音を各個体が持っており、その発声音をつかって学びやすい歌を学習していることが示唆されました。すなわち、生得的な発声運動特性に基づく学習バイアスの存在です。
さらにキンカチョウの歌のみを学習モデルとして聞いた場合では、生得的にキンカチョウの歌に近い発声特性をもつ個体は上手にキンカチョウの歌を学習しますが、生得的にカノコスズメの歌に近い発声特性を持つ個体は、キンカチョウの歌を学習できず、聞いていないカノコスズメの歌の特徴を持った歌を発達させました。興味深いことにキンカチョウの歌のみを聞いたグループとカノコスズメの歌のみを聞いたグループを比べると、最終的に獲得した歌の特徴は、この二つのグループ間で有意に異なっていました。これは、発達過程で提示される学習モデルの如何に依らず、個体差が出現すると同時に集団レベルでは、”教育効果”が現れることを意味します。
この歌発声学習の個体差が確認できる発達時期の脳では、発声学習・生成に関係する神経回路内の発声運動野から舌下神経核へ投射するグルタミン酸興奮性神経細胞特異的に発声学習個体差を表象する遺伝子発現特性を持つことを明らかにしました(図3)。この個体差を示す遺伝子群は、イオンチャネル・神経伝達物質受容体・細胞接着などの神経分子機能関連遺伝子に有意に集積しており、興奮性投射神経細胞の自発発火・興奮特性の違いを生んでいる可能性が示唆されました。
【今後への期待】
ヒト大脳皮質においても、興奮性投射神経細胞で個体差を表象する遺伝子発現特性が同様に観察されています。そのため、今回研究グループが発見した現象は、動物種を超えて保存されている可能があります。この個体差を示す遺伝子発現が生まれ持つゲノム情報と育ちの環境で、どのように制御されるのか、どの程度まで変動するのか、そして、実際の学習行動の個体差の「何」に影響を与えるのか、今後の研究で明らかにしていきたいと考えています。
また、将来的には、歌鳥の異種間ハイブリッド個体を動物モデルとして、神経行動学・神経分子生物学的な見地から教育学を考察する、「神経教育学」研究の寄与に貢献できると考えています。
【論文情報】
論文名:A predisposed motor bias shapes individuality in vocal learning(学習発達初期の運動バイアスが発声学習の個体差をつくる)
著者名 田路矩之1,2*, 澤井 梓3*, WANG Hongdig3*, JI Yu3, 杉岡凜太朗3, 郷 康広4,5,6, 和多和宏1,3,7 *Equal contribution(1北海道大学大学院理学研究院、2日本学術振興会特別研究員、3北海道大学大学院生命科学院、4自然科学研究機構生命創成探究センター、5自然科学研究機構生理学研究所、6総合研究大学院大学生命科学研究科、7北海道大学脳科学研究教育センター)
雑誌名 Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS, 米国科学アカデミー紀要)
URL:10.1073/pnas.2308837121
公表日 2024年1月10日(水)(オンライン公開)
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【参考図】
【用語解説】
*1 1細胞(シングルセル)遺伝子発現解析 … 細胞内に発現されているmRNAを1細胞ごとに分離して、網羅的に解読すること。これにより遺伝子発現特性が似た細胞群を同じ細胞種(タイプ)に分類することができる。
お問い合わせ先
北海道大学大学院理学研究院 教授 和多和宏(わだかずひろ)
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メール wadaATsci.hokudai.ac.jp (ATを@に入れ替えてください)
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