有機化学の常識を化えたい

有機化学を高速化する

永木 愛一郎 教授 NAGAKI Aiichiro/有機反応論研究室

科学技術の発展による物流や通信の高速化が、私たちの社会に多くの恩恵をもたらしていることは間違いありません。有機化学の発展も、プラスチックや医薬品など多くのモノをつくりだすことで、私たちの生活に大きな貢献をしてきました。一方で、化学反応を開発し新しい構造の分子を作ることに、多大な時間を要するということは、あまり問題視されてきませんでした。このギャップを埋めるべく、私は「高速有機化学」という言葉をキーワードに、この有機化学における常識を変えることを目指し、研究に取り組んでいます。例えば、高速で起きる反応を操る、高速に物質を合成する、反応条件の最適化を高速化するなど、有機化学合成のあらゆる段階を短時間化することで、有機化学の研究開発を高速化したいと考えています。

 

流しながら化学反応

みなさんが化学反応と聞いてイメージするのは、きっとフラスコや試験管をつかった実験だと思います。これはバッチ型反応器と呼ばれています。私が使うのは、マイクロ反応器という細いチューブ状の反応器で、そのなかに溶液を流して反応をおこないます。チューブは細く、マイクロオーダーの空間を反応の場として使うところがポイントです。また、チューブの長さや、溶液を流す速度を細かく調整することで、反応時間を精密に制御することがきます(図1)。

図1 フロー型マイクロ反応器
左側、注射器のようなシリンジポンプから複数の溶液が押し出され、黒い台の上にあるマイクロリアクターに送り込まれ混ざり、右側の出口から反応液が出てくる仕組み

装置自体は小さいのですが、流しながら化学反応をおこなうことから、みなさんの想像以上に大量の化合物を合成することも可能です。例えば、反応器に流す溶液の量を50mL/分とすると、1分間に50mLの溶液を安定的に採取できます。これを1日、1か月、1年間と考えていくと、かなりの量が合成可能だということが分かります。フラスコでやろうとすると、かなり大きなフラスコが必要ですが、フロー型反応器においては、ずっと反応液を流し続ければいいので、研究開発から工業生産へのスケールアップの問題が生じません。そのため、フロー合成反応開発に対する企業のニーズは非常に高く、私の研究室でも色々な分野の企業と共同研究を行っています。

 

マイクロオーダーの反応空間―小さいことの強み

フロー型マイクロ反応器には、「流しながら反応をおこなう」という特徴に加えて、サイズが小さいことも大きな強みとなっています。まず、これは、反応温度の精密な制御ができることを意味し、発熱反応の制御などで大きな力を発揮します。また、超高速な反応では、反応液を瞬間的に均一に混ぜられるかがキーになります。高速混合は選択性を制御するうえで、重要な特徴になります。バッチ型反応器では達成が難しいレベルで、温度や混合を制御できることが、フラスコでは絶対に不可能な、いわゆる常識を変えるような有機化学へと繋がります。

 

高反応性中間体を操る

フロー型マイクロ反応器の特徴を実際の有機化学反応で、どのように活用しているかを紹介したいと思います。ある化合物が複数の中間体を経て合成される際、高活性で短寿命な中間体が発生することがあります。そのような中間体は、分解がすぐ進行してしまうのでバッチ型反応器では扱うことができませんでした。しかし、フロー型マイクロ反応器であれば、溶液を高速で混合、反応時間をミリ秒単位で制御し、分解される前に次の試薬を投入することが可能なので、この中間体を利用することができます。この「使えない中間体」を利用可能にすることで、多くの有用な反応を開発してきました。

 

物質合成の高速化

フロー型マイクロ反応器を用いて、高速反応や高反応性中間体が介在する反応をつなぎ合わせることで、複雑な化合物を一連の高速な反応プロセス(一気通貫)として設計できるようになります。これをフラスコでおこなうには、フラスコの中身を順番に移すような人的・時間的リソースだけでなく、中間体の単離精製に追加の溶媒が必要となります。フロー型は理想的な多段階反応を可能にする手法といえます。

例えば、ある抗がん剤候補の前駆体となる鍵化合物を作るには、6つの化学反応が必要です。フロー型マイクロ反応器を使って、6段階を一気通貫で進めて、12秒ほどで目的の化合物を生成できます。これまで6、7日かけて1つずつの反応を積み上げてきたものが、原料を入れて12秒後には生成物として出てくるようにできます(図2)。

図2 6連続一気通貫高速反応による高速合成
抗がん剤候補の前駆体となる鍵化合物を、6段階を経由してわずか12秒で合成

Message

研究開発で10日間かかっていたことが1時間になると、新しいサイエンスの発見がそれだけ加速します。私たちは今、高速で起きる反応を操る・高速に物質を合成することに加えて、研究開発プロセス全体を高速化することにも取り組んでいます。フローの強みを活かしたインライン分析と機械学習を組み合わせ、反応条件の最適化を自動化する試みです。これは今後、日本でますます深刻化すると思われる労働人口減少、環境・資源問題にも貢献できます。私の研究室には、フロー技術を社会に役立てようとする企業から、研究者が来て共同研究をおこなっています。基礎研究が実社会にどう活かされていくのかを間近で見ることができます。

私の想いとしては、高速な有機化学を有用な機能をもつ分子を高速に生み出していく、ということに繋げるのが目標です。そこに導き得る高速有機化学という分野を体系化していきたいと思っています。