イルカの赤ちゃんは母乳の味を感じている? ~母乳の脂肪分を感じる味覚受容体の存在をイルカで発見~
【ポイント】
・イルカの乳児の舌に、脂肪味受容体や脂肪分解酵素の遺伝子が発現していることを発見。
・イルカの母乳には豊富で良質な脂肪酸が含まれており、イルカ乳児は識別できることを確認。
・鯨類では退化していると考えられてきた化学感覚について、再検討をせまる重要な発見。
【概要】
北海道大学大学院環境科学院博士後期課程3年の勝島日向子氏、同大学大学院地球環境科学研究院の早川卓志助教、いおワールドかごしま水族館、一般社団法人御蔵島観光協会、三栄源エフ・エフ・アイ株式会社の研究グループは、ハンドウイルカ属のイルカの乳児の舌に脂肪味受容体や脂肪分解酵素の遺伝子が発現しており、母乳中の脂肪酸を味覚として認識することに使われている可能性を発見しました。
鯨類(クジラ・イルカの仲間)では、水中で生活するようになって餌の魚介類を丸呑みするようになり、味を感じる必要がなく、味覚が退化してしまいました。基本五味(甘味、旨味、苦味、酸味、塩味)のうち、少なくとも甘味、旨味、苦味に関わる遺伝子が壊れています。しかし、鯨類は哺乳類ですので乳児は母乳を飲んで育ちます。陸上哺乳類の乳児は、母乳に甘味や旨味を感じていますが、鯨類の乳児はどうしているのでしょうか。
研究グループは「第六の味覚」と言われる脂肪味覚に注目しました。ハンドウイルカ属の乳児の舌に発現している遺伝子を調べたところ、確かに脂肪味受容体や脂肪分解酵素の遺伝子が発現していました。さらに母乳成分を分析したところ、DHAなどの良質な脂肪酸が豊富に含まれていました。さらに水族館で行動テストをおこない、水中の母乳を識別できることも分かりました。これらの結果は、イルカの乳児が脂肪味覚を使って母乳を識別している可能性を示しています。
なお、本研究成果は、2024年10月24日(木)公開のMarine Mammal Science誌に掲載されました。
本研究の概要
【背景】
鯨類(クジラ・イルカの仲間)は約5000万年前に海洋環境に進出しました。陸上生活をやめたことで、様々な特徴が進化あるいは退化しました。その一つが丸呑み型採食です。鯨類の仲間は魚介類やプランクトンを丸呑みして食べます。咀嚼しないので、食べ物を味わう必要がありません。それゆえ味覚が退化してしまっています。食べ物の甘味や苦味を感じることができないのです。
ところで、鯨類は哺乳類ですので、乳児期には母親の乳を飲んで育ちます。鯨類の授乳も水中でおこなわれます。陸生哺乳類の乳児だと母乳に含まれる甘味や旨味を「美味しい」と感じて母乳を好んで飲むようになりますが、鯨類では甘味感覚も旨味感覚も退化してしまっています。母乳を「美味しい」と感じる味覚なくして、鯨類の乳児は上手に授乳を受けることができるのでしょうか。
研究グループは鯨類の乳児が母乳の認識に「第六の味覚」を使っている可能性を疑いました(図1)。近年、「第六の味覚」として脂肪味があることが提唱されました。鯨類の母乳は、哺乳類の中でも抜きんでて、脂肪分が多いことで知られています。またイルカの乳児の舌の先端には、辺縁乳頭と呼ばれる突起があり、母乳を絡めとることに貢献しています。また、喉側にはV字溝と呼ばれるくぼみが存在しています。これらの辺縁乳頭やV字溝(図2a)は、大人になると消失してしまいます。陸生哺乳類だと、乳頭は舌の至る所に存在しており、その中に味を感じる味覚受容体が発現しています。
こうした状況証拠から、研究グループは、鯨類の乳児期にしか見られない辺縁乳頭やV字溝に脂肪味受容体が発現していて、脂肪に富んだ母乳に脂肪味を感じているのではという仮説を立てました。
【研究手法】
上記の仮説を検証すべく、本研究では、イルカ乳児の舌における脂肪味受容体の遺伝子発現、イルカの母乳に含まれる脂肪の組成、そしてイルカ乳児が母乳を識別できるかという三つの分析をおこないました。
一つ目の分析では、ストランディング(寄鯨)したイルカの乳児の舌を調べました。鯨類はときどき陸上に、座礁、漂着、混獲することがあり、これをストランディングといいます。鯨類は陸上では生きられないので、残念ながらストランディングした個体は多くの場合、亡くなってしまいます。そうした機会において、伊豆諸島の御蔵島で亡くなってしまった1歳のミナミハンドウイルカ(Tursiops aduncus)の乳児から舌を採取しました。辺縁乳頭とV字溝から、遺伝子発現産物であるRNAという分子を抽出し、RNA-seqという手法で網羅的にどんな遺伝子が発現しているのかを調べました。
二つ目の分析では、鹿児島県のいおワールドかごしま水族館のハンドウイルカ(Tursiops truncatus)で授乳中の母親イルカから母乳を採取し、どのような脂肪酸が母乳中に含まれているのかを調べました。哺乳類の母乳中の脂肪は、主としてトリアシルグリセロールという中性脂肪であり、ヒトでは母乳の3%~5%程度ですが、イルカでは30%を占めています。トリアシルグリセロールは口腔中の舌リパーゼと呼ばれる酵素によって、3個の脂肪酸に分解されます。特に分子構造が複雑に枝分かれした「不飽和長鎖脂肪酸」は必須脂肪酸と呼ばれ、哺乳類は体内で合成することができず、母乳や食べ物から摂取する必要があります。
三つ目の分析では、かごしま水族館のハンドウイルカのプールに、塩素散布機を改良して凍らせた母乳が水中に溶けだすような装置を作りました。2個の散布機をプールに浮かべ、片方からは母乳、もう片方からは母乳と同じ濃さに白濁させた懸濁液(三栄源エフ・エフ・アイ提供、以下、白濁液と称す)が染み出すようにしました。この2個の散布機を、かごしま水族館で飼育されているハッピーという乳児(研究当時1歳)のハンドウイルカが、「片方には母乳が入っている」ことを識別できるのかを調べました。
【研究成果】
ミナミハンドウイルカの舌の遺伝子発現解析の結果、様々な種類の脂肪味受容体や関連遺伝子が辺縁乳頭やV字溝に発現していました。その程度はV字溝では特に顕著で、長鎖脂肪酸を受容するFFAR4や、関連遺伝子のPLCB2、また舌リパーゼ(LIPF)が発現していました(図2b,c)。次に、ハンドウイルカの母乳の成分分析の結果、アラキドン酸、EPA、DHAなど、良質な必須脂肪酸を含む7種類の不飽和長鎖脂肪酸と16種類の飽和長鎖脂肪酸が検出されました(図2d)。最後に、片方に「母乳」を、他方に「白濁液」を入れた2個の散布機をプールに浮かべた結果、ハンドウイルカの乳児は有意に「白濁液」の入った散布機の方に近寄りました(図3)。なぜ「母乳」の方を避けたのか理由は分かりませんが、いずれにせよ二つの容器に対する行動が異なったことから、母乳を識別できていることが明らかになりました。
これらの結果から、① イルカの母乳には豊富で良質な長鎖脂肪酸が、トリアシルグリセロールの形で含まれている。② 授乳時にイルカ乳児の口腔中に満たされた母乳中のトリアシルグリセロールは、V字溝において舌リパーゼによって遊離した長鎖脂肪酸に分解される。③ 長鎖脂肪酸は脂肪味受容体によって受容されて、「母乳の味を感じた」という信号を脳に送り、イルカ乳児の行動を決定する、と考えられ、「イルカ乳児が脂肪味覚を使って母乳を識別している可能性」が示されました。
【今後への期待】
本研究は、限られた個体数での分析のため、今後、頭数を増やして再現性を確かめる必要があります。今回は母乳の味に焦点を当てましたが、必須脂肪酸は餌である魚介類に由来しています。もしかしたら若いイルカは魚にかじりついて味を感じているかもしれません。イルカ飼育の現場では、オスイルカはなぜかメスイルカの発情が分かると言われています。別グループの研究では、飼育イルカが同種の尿を識別できることから、個体間で化学コミュニケーションをしている可能性も示されています。もしかするとイルカは、脂肪酸の授受を介して個体情報を交換しているのかもしれません。本研究をきっかけに、いまだ解明されてない鯨類のコミュニケーションが明らかとなることを期待しています。
論文名:Fat taste receptors and fatty milk in dolphins(イルカにおける脂肪味受容体と脂肪に富んだ母乳)
著者名:勝島日向子1、柏木伸幸2、濱野剛久2、小木万布3、佐藤 良4、中田健介4、西野雅之4、早川卓志5(1北海道大学大学院環境科学院、2かごしま水族館、3一般社団法人御蔵島観光協会、4三栄源エフ・エフ・アイ株式会社、5北海道大学大学院地球環境科学研究院)
雑誌名:Marine Mammal Science(海生哺乳類学の専門誌)
DOI:10.1111/mms.13195
公表日:2024年10月24日(木)(オンライン公開)
こちらから論文をご覧になれます:
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/epdf/10.1111/mms.13195?domain=author&token=ID9BKQTBRVMVUZ2TPUFV
プレスリリースサイトはこちらです:
https://www.hokudai.ac.jp/news/2024/11/post-1668.html
図1. 本研究の全体像。(イルカの写真は勝島日向子が個体識別調査の一環として御蔵島で撮影。)
図2. イルカ乳児の舌の遺伝子発現と母乳の成分分析。(a)イルカ乳児の舌の構造。(b,c)コントロール(C)に対するV字溝(V)における脂肪味受容関連遺伝子の発現量。(d)イルカ母乳に含まれている長鎖脂肪酸。横軸が小さいほど、授乳時の年齢が若いときに多く含まれることを意味する。
図3. イルカ乳児における行動テストの結果。(a)イルカプールの様子。(b)行動テストにおける配置。(c)散布機の構造。中心に冷凍した母乳または白濁液のブロックを入れる。(d)行動テストの結果。白濁液の方をより長く選択した。