動物が行動を選択する時の判断要因をコオロギから解明〜今の確実さか?未来への備えか〜
行動神経学系の小川宏人教授の研究グループは、動物の行動選択に関する興味深い発見をし、論文発表しました。北大のプレスリリースでも紹介されています。以下、小川先生による解説です。
人間は日常的に様々な状況で選択を迫られます。複数ある選択肢から適切なものがどれかを考えて選ぶことは、動物にとっても同様でそれは時に生命に関わる重大な決断になります。例えば捕食者に襲われた時、適切な行動を選択できるかは動物の生死に直結する問題です。このような状況で捕食者から「逃げる」という逃避行動は、動物種を越えて多くの動物で生得的に備わっています。
行動選択では、その行動を選んだ場合にどのような「利益」が得られるかが重要です。例えば逃避行動の場合、より素早く逃げることは捕食者によって捕らえられにくくなることにつながるので、移動速度は捕食者の攻撃を回避するための「行動的利益」といえます。
しかし、多くの動物は複数の逃避行動パターンを持ち、「遅い逃避行動」と「素早い逃避行動」の両方を行うことが報告されてきました。このことから、遅い逃避行動には速度とは別の何らかの「行動的利益」があり、その利益を重視しなければならない状況では、動物は積極的に「遅い逃避行動」を選択していると考えられますが、「遅い逃避行動」の利益が何であるのかはまだよくわかっていません。
そこで我々の研究グループは、この「遅い逃避行動」の「行動的利益」を明らかにするため、歩行とジャンプという2種類の逃避行動を行うコオロギを用いて、網羅的かつ定量的に運動パラメーターを調査し、この2つの行動の間で比較しました。
コオロギは腹部後端にある尾葉と呼ばれる感覚器官で周りの空気の流れを感知し、その突然の変化を捕食者の接近として捉えて、気流のやってくる方向から逃げようとします。研究グループはこれまでの研究で、コオロギが短い気流刺激に対して,主としてランニング(常に地面にいずれかの足をつけて走る行動)とジャンプ(両後肢で強く地面を蹴り宙に跳び上がる行動)の2つの逃避行動のいずれかをとることを発見しました(図1A)(Sato et al., 2017)。このランニングによる逃避行動とジャンプによる逃避行動のそれぞれの「行動的利益」を明らかにするため、逃避行動を高速度ビデオカメラで撮影し、その運動を詳細に解析しました。
図1 A: コオロギの2種類の逃避行動(ランニングとジャンプ)。B: ランニングとジャンプの移動速度(左)と移動距離(右)。ランニングに比べてジャンプでは移動速度が速く、距離も長い。C: 刺激角度に対するランニングとジャンプの移動方向。どちらも同様に移動方向が正確に制御されている。
逃避行動では捕食者の攻撃をかわすために、刺激からできるだけ離れた方向、言い換えれば気流のやってくる方向と反対側に移動する傾向があります。ランニングとジャンプの運動を比較すると、ジャンプは速さの点でランニングに勝る一方で、コオロギはバッタと同じようにもっぱら前方へしかジャンプできないように思えます。したがって研究グループは、ジャンプではこのような移動方向の制御が困難であると予想し、まず「ジャンプとランニングでは速度と移動方向制御の正確さの間にトレード・オフの関係がある」という仮説1を立てました。この仮説を検証すると、確かにジャンプの方がランニングに比べて速く遠くへ移動していることがわかりました(図1B)。しかし、コオロギがどのくらい刺激の方向と正反対に逃げているのかを検証したところ、驚くべきことに、ジャンプでもランニングと同じくらい正確に刺激と反対側に移動することがわかりました(図1C)。コオロギはバッタなどとは違い、横や真後ろにさえジャンプできることが判明したため、仮説1は棄却されました。
ジャンプの方がより速く遠くへ、しかもランニングと同じくらい正確に移動方向を制御できるならば、運動パフォーマンスの点ではジャンプの方が「行動的利益」が大きいことになるため、コオロギは常にジャンプして逃げる選択をするはずです。しかし、実際にはコオロギはジャンプよりもむしろランニングの方をより頻繁に選択します。では、彼らがランニングを選択する「利益」とは何なのでしょう?
そこで、研究グループはコオロギがいったん逃避行動を始めた後の反応に注目しました。捕食者は1回だけではなく繰り返し被食者を襲うことも考えられます。昆虫の場合、ランニング中は常にいずれかの肢が接地しているため、もし逃避行動中に捕食者が再び攻撃してきたとしても、向きを変えたり、さらに走ったりするなど、柔軟に対応できる可能性があります。そこで「ジャンプとランニングでは速度と行動の柔軟性の間にトレード・オフの関係がある」という仮説2を立て、最初の刺激に対する反応中にさらに2回目の気流刺激を与える実験を行いました(図2A)。
図2 A: 1回目の反応中に2回目の刺激を受けて反応した場合の移動速度変化。B: 2回目の刺激に対する応答した確率。1回目の刺激に対してランニングを選択していた方がジャンプを選択していた場合よりも2回目の刺激に対する応答確率が高い。
その結果、1回目の刺激に対してランニングによる逃避行動を選択した場合には2回目の刺激にも対応できましたが、ジャンプを選択した場合にはほとんど対応できないことがわかりました(図2B)。すなわち、ジャンプには速度や距離という「利益」がある一方で、ランニングには行動中に再び捕食者の接近を感知した時、それに対して柔軟に対応できるという「行動的利益」があると考えられます。
今回の研究では、逃避行動の速度や移動する方向など、行動自体の運動パラメーターだけではなく、選択を行った次の行動を調べることで、運動性と柔軟性の間にトレード・オフがあることが明らかとなりました。すなわちコオロギは、運動性と柔軟性という2つの「行動的利益」を比べて、ランニングとジャンプを状況に応じて使い分けている可能性があります。例えば、近距離から捕食者が突然襲ってきた場合には、とりあえず最初の攻撃を回避することを優先してジャンプを選びますが、比較的遠いところから襲われた場合には、時間的な余裕があるためより柔軟に対応できるランニングを選ぶのかもしれません。
我々は、気流刺激の方向や速度等の情報がどのような神経メカニズムによって処理されるかという研究を進めています。今後は、このような神経生理学的な知見を積み重ねることによって、「状況を把握して、それに応じて適切な行動を選択するための神経メカニズム」の解明につながることが期待できます。
発表論文: Nodoka Sato, Hisashi Shidara and Hiroto Ogawa (2019) Trade-off between motor performance and behavioural flexibility in the action selection of cricket escape behaviour. Scientific Reports 9: 18112, doi: 10.1038/s41598-019-54555-7(https://www.nature.com/articles/s41598-019-54555-7)