コオロギを材料とした1細胞レベルの解像度をもつ脳機能マッピング法の開発
行動神経生物学系の渡邊崇之博士は、JT生命誌研究館の宇賀神篤博士および北海道大学電子科学研究所の青沼仁志准教授とともに、コオロギの脳機能マッピング法を開発し、神経科学分野のトップジャーナルの1つであるeNeuro誌に論文発表しました。以下、渡邊博士による解説です。
現存する生物のおよそ半分を占める昆虫は、陸上で最も繁栄している分類群で、驚くほど複雑かつ多様な行動を見せます。彼らは、我々ヒトよりもはるかに小型の脳を持っており、構成する神経細胞の数もおよそ100万個とヒトの1000分の1程度しかありません。この利点を生かし、昆虫の見せる様々な行動に着目して、その行動を制御する神経細胞の働きを調べる研究はこれまで盛んに進められてきましたが、100万個もの神経細胞の中から特定の行動に関わる細胞を見つけ出すことは容易ではありません。
今回の研究では、鳴き声による求愛行動や儀式的な闘争行動などの社会行動を示し、優れた学習能力をもつフタホシコオロギ Gryllus bimaculatusを材料に、行動遂行後、その行動に関与した神経細胞を網羅的にマッピングすることが可能な、新しい実験技術の確立に取り組みました。特定の行動を遂行するとき、脳内ではその行動を制御する神経細胞が活性化します。このとき神経細胞では、活動の活性化に伴い最初期応答遺伝子などの遺伝子発現が亢進することが知られています。今回の研究では、まずコオロギ脳で神経活動の活性化に伴い発現する最初期応答遺伝子を探索し、early growth response-B (egr-B) などの遺伝子が、神経細胞の活性化後1~2 時間に渡り発現亢進を示すことを見つけました。次に egr-B 遺伝子のプロモーター領域を利用し、活動した神経細胞で黄色蛍光タンパク質遺伝子 (eYFP) を発現する遺伝子導入系統を作成しました。この遺伝子導入系統では、神経活動の活性化に伴い eYFP 遺伝子の発現が egr-B 遺伝子と同様のパターンで亢進しており、遺伝子導入した eYFP 遺伝子が、内在的な最初期応答遺伝子の発現を模倣できていることが確認できました。さらにこの系統を用いて、コオロギ脳内で砂糖水の摂食に依存して活動する神経細胞のマッピングに成功しました。
2000年にショウジョウバエのゲノム配列が決定されて以降、昆虫を材料とした研究はショウジョウバエを中心にして進められてきました。その一方で、魅力的な行動を見せるコオロギなどの昆虫は、脳や行動の進化を考える上でも非常に重要な研究材料です。今回の研究で、egr-B 遺伝子のプロモーター領域が昆虫で種を超えた高い構造的保存性を示すことも明らかにしました。遺伝子導入やゲノム編集などの新たな実験技術が多くの昆虫で利用可能になりつつある今、今回確立した実験技術がコオロギ以外の昆虫種でも広く利用されていくことで、昆虫の見せる魅力的な行動のメカニズムが明らかになっていくと期待されます。
発表論文: Watanabe T., Ugajin A., Aonuma H. (2018) Immediate-Early Promoter-Driven Transgenic Reporter System for Neuroethological Research in a Hemimetabolous Insect. eNeuro Sep 4: 5(4).(http://www.eneuro.org/content/early/2018/08/07/ENEURO.0061-18.2018)