研究トピックス

匂いのかたちを捉える神経を発見ゴキブリ見るように匂いを嗅ぐ

電子科学研究所の西野浩史助教と岩﨑正純博士、ドイツ・コンスタンツ大学のMarco Paoli博士、生物科学科・行動神経生物学系の水波誠教授らの研究グループは、ゴキブリが長い触角のどこにどれくらいの大きさの匂いが当たったか瞬時に識別できるしくみを持つことを明らかにしました。研究成果はCurrent Biology誌に発表され、北海道大学のプレスリリースでも紹介されました。以下、西野先生と水波先生による解説です。

匂い情報処理についての研究は、外界の匂い分子を受けとる嗅覚受容体が1991年に発見されて以来、目覚ましい進展をとげています。嗅質(匂いの種類)・強度・時間を電気パルスに変換するしくみも解明されつつあります。しかし、匂いの空間分布を動物がどう利用するのかは今も謎のままです。

匂いには「プルーム」と「フィラメント」という大小二つの構造があります。プルームとは、風上から風下に向かってできる匂いのたなびきのことです。匂いを含むプルームときれいな空気の間には境界ができます。プルームの中は、グラデーションのように少しずつ違う濃度の匂いで充たされているのではなく(図1A)、匂い分子が凝集してできたいろいろな形のフィラメント(大きさ: 数ミリ〜)が不連続に分布しています(図1B)。フィラメントの大きさや密度は匂い源の近くと遠くで異なるため、これらの情報が匂い源への方向や距離について手がかりを与える可能性があります。

図1 風下(右)に向かってできる匂いプルームの模式図。プルーム中には連続的な匂いの濃度勾配は存在せず(A)、様々な大きさの匂い分子の塊(フィラメント)が不連続に分布する(B)。よって、匂いの濃度勾配よりも匂いフィラメントの大きさや密度が匂いナビゲーションにおいて信頼できる手がかりとなる。

西野らは、動物界有数の長い鼻(触角)をもち、障害物の多い環境でも匂い源の位置を特定する優れた能力をもつワモンゴキブリに注目しました。昆虫の匂い処理システムは、我々哺乳類とよく似ています。触角内にある嗅感覚細胞の軸索(匂い情報を次の中枢へと伝える繊維)は糸球体と呼ばれる組織に情報を伝えますが、処理する匂いの種類ごとに軸索が収束する糸球体も異なります。たとえば、ワモンゴキブリのメスの出す性フェロモン(ペリプラノンB)はオスの触角全域に分布する約4万個のフェロモン受容細胞によって処理されますが、その軸索は触角葉と呼ばれる嗅覚中枢で最大の糸球体に収束します(図2CD、大糸球体)。西野・水波は10年前に、ゴキブリの大糸球体では感覚細胞の軸索が細胞体の位置に応じて整然と並んでいること、すなわち感覚地図があることを発見しました。

本論文で西野らは、ゴキブリ大糸球体中の感覚地図が、高次中枢へフェロモン情報を伝える8つの介在神経(S1-S8)によって実際に利用されることを発見しました。各神経はそれぞれ触角の基部から先端の特定領域へのフェロモン刺激に対し、強い興奮性の応答を示します。各受容野の大きさは1.1~1.4 cmで、隣接する受容野の間には大きな重複があります(図2A)。また,糸球体内の樹状突起の位置と触角上に形成される受容野の位置には、感覚地図にもとづく明瞭な相関がありました。

介在神経の活動は、受容野以外の領域の刺激では抑制されます(図2B)。この受容野外での抑制は視覚情報処理でよく知られるメカニズムで、刺激の境界を高コントラストで検出することができます。介在神経で処理されたフェロモン情報はキノコ体と側角と呼ばれる2つの高次中枢に送られますが、キノコ体では異なる介在神経の軸索終末が空間的に明瞭に隔てられている一方、側角ではほぼ完全に重複していました(図2CD)。このことはキノコ体内の異なる神経が異なる空間情報を処理する可能性を強く示唆します。

図2 受容野をもつ8つの介在ニューロン(脳右半球)。S1からS8ニューロンの受容野は、触角基部から先端までの特定領域を重複しつつカバーする(A)。受容野への刺激は対応する介在ニューロンを強く興奮させる一方(B左)、受容野外の刺激では抑制を生じさせる(B右)。介在ニューロン(C)は幼虫期に段階的に生じる新しい感覚細胞の軸索終末と、キノコ体の新生内在ニューロンの樹状突起の間を結びつけることで、匂いの位置情報をキノコ体の異なる領域に表現する(D)。

8つの介在ニューロンの活動の組み合わせをキノコ体の出力神経が読み取ることで、プルームの境界やフィラメントの形状の検出が可能になります。ゴキブリの触角は自由に動くので、サンプリングされた匂い情報を時系列処理することで、プルームの立体的なイメージをキノコ体の中につくり上げることができます。障害物の多い屋内では匂いと接するチャンスは多くないため、匂いの分布パターンを写しとるしくみがナビゲーションには重要だと予想されます。この能力はゴキブリの屋内侵入を可能にした「最終兵器」といえるでしょう。

触角上の受容野の大きさや重複度は、ゴキブリの3億年以上にわたる進化を経て最適化されてきたもので、地上探索型のロボットなどに実装できる可能性を秘めています。嗅覚器の大きさや移動能力は嗅覚システムの特徴を決める大きな要因となるため、触角の小さなショウジョウバエなどのモデル動物だけでなく、嗅覚のスペシャリストにも目を向けた比較研究は重要です。本研究は動物の匂いナビゲーションの神経機構の理解に向けて新たなとびらを開くものです。

発表論文: Hiroshi Nishino, Masazumi Iwasaki, Marco Paoli, Itsuro Kamimura, Atsushi Yoritsune, Makoto Mizunami (2018) Spatial receptive fields for odor localization. Current Biology 28: 1-9.(http://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(17)31688-3