研究トピックス

カイコ絹糸腺ではHox遺伝子が絹糸遺伝子の領域特異的発現を制御している

形態機能学系の滝谷重治准教授の研究室では、カイコが繭をつくる際に絹糸タンパク質をどのようにして発現するのかについて研究しています。このたび、その調節メカニズムの概要を解明して北海道大学のプレスリリースに発表しました。カイコを用いて我々に有用なタンパク質を生産する際に、その生産効率を向上させることができる成果と言えます。以下、滝谷先生ご本人による解説です。

絹糸腺は、いわゆる絹糸タンパク質の合成に特化した器官です。繭を作る直前の幼虫の絹糸腺は長さ十数cm太さ2 mm以上にもなりますが、わずか1000個ほどの細胞からできています。これは絹糸腺をつくる細胞が多倍数化(約50万コピー)した巨大細胞になっていることによります(図1)。絹糸腺は前後(頭-尾)軸に沿って、機能と構造の異なる複数の領域に分けられます。前部絹糸腺では、絹糸タンパク質が脱水されるとともに、糸状に細く引き伸ばされます。中部絹糸腺では接着性のある水溶性タンパク質が合成され、繊維分子を結束するとともに、糸に接着性を与えます。後部絹糸腺では絹糸になる繊維状タンパク質が合成されています。繊維状タンパク質(フィブロイン等)と接着性タンパク質(セリシン等)を総称して絹糸タンパク質と言っています。絹糸腺内を1本の内腔が貫いていますが、後部絹糸腺の末端は閉じて盲管となっており、後部絹糸腺や中部絹糸腺で合成された絹糸タンパク質は内腔に分泌されると、前に前にと押し出されます。吐糸口から滲み出したゾル状のタンパク質溶液を桑や器物に接触させた後、幼虫が首を振ることによって物理的な力が加わり、固化して糸が完成します。繭や幼虫が吐く糸には絹糸になる繊維タンパク質以外に水溶性タンパク質が多量に含まれていますが、製品にする過程で除かれます。

図1図1 (a)カイコ5齢幼虫 (b)絹糸腺:矢頭で示した範囲が各領域を示す。 (c)絹糸腺の核構造:5齢の中部絹糸腺や後部絹糸腺の核構造はより複雑に分岐しているため、観察しやすい前部絹糸腺の核構造を示す。

私達の研究室では中部絹糸腺で合成される水溶性タンパク質の一つをコードするセリシン1遺伝子(ser1)の発現制御機構を研究してきました。プロモーター解析や結合因子解析から、ser1遺伝子の中部絹糸腺特異的な発現を制御している主要な転写制御因子が、Hox因子の一つアンテナペディア(Antp)であることを明らかにしました。実際、Antp遺伝子を本来は発現していない後部絹糸腺で強制的に発現させると、もともと発現していなかったser1遺伝子やser3遺伝子が発現するようになりました。さらに、このようなAntp強制発現カイコを用いて後部絹糸腺タンパク質のプロテオーム解析を行うと、フィブロヘキサメリン-like 4と5(Fhxh4とFhxh5)タンパク質の合成が誘導されることがわかりましたが、これらも通常は中部絹糸腺特異的に発現する遺伝子がコードしていました。従って、Antp遺伝子は中部絹糸腺特異的遺伝子の発現を制御するマスター遺伝子であることが明らかになりました。

ところで、Hox遺伝子は動物(左右相称動物)の胚発生過程で働き、体の前後軸に沿った各領域の特異性を決定するマスター遺伝子として知られています。分子構造や機能が最初に解析されたショウジョウバエでは、ホメオドメインとよばれる高度に保存されたDNA結合ドメインを持つ転写因子をコードする8つの遺伝子が、Antp複合体とUbx複合体と呼ばれる2つのクラスターを作って並んでいることや、その並び順とそれぞれのHox遺伝子が特異性を決定する領域の並び順とが対応していることが明らかにされました(図2)。やや異なった点はあるものの、カイコでも相同の8つのHox遺伝子が前後軸に沿った各領域の特異性を決定していることが推定されています。Antp遺伝子はカイコでもショウジョウバエでも、体の中央部(具体的には胸部)の特異性の決定に働くHox遺伝子で、Antp遺伝子が本来発現しない触覚で異所的に発現するショウジョウバエの変異体では、頭部の附属肢である触覚が胸部の附属肢である脚に変化することが知られています。前後軸に沿った各領域の特異性を決定するためには、その特異性を具体的に規定している一連の遺伝子をそれぞれのHox因子が特異的に制御する必要があります。しかしHox遺伝子の分子構造が明らかになってから30年以上経つ現在でも、Hox因子がどのように特定の遺伝子を選択しているのか十分には理解されていません。8つのHox因子のDNA結合ドメインの構造はどれも良く似ており、ほとんど同じDNA配列を認識することが知られています。

図2new図2 絹糸腺と胚発生過程でのHox遺伝子の発現領域を簡略化して模式的に示している。Hox遺伝子のゲノム上での並び順と胚発生過程での発現場所およびHox遺伝子によって特異性が決定される領域の位置関係は、ほぼ対応している(遺伝子と同じ色で示す)。絹糸腺でも類似した関係が見られる。各Hox遺伝子が示す明確な特異性に反して、どのHox因子もほとんど同じDNA配列に結合し選択性が見られない。

今回の私達の結果は、胚発生過程で体の中央部の特異性決定に働くAntp遺伝子が分化した絹糸腺の中央部で発現しており、中央部特異的な絹糸遺伝子の発現を制御していることを示しました。また、絹糸腺では組織の前後軸に沿ってほとんどのHox遺伝子が発現し、その発現パターンも胚発生過程の発現パターンに類似していることが明らかになりました。絹糸腺と絹糸遺伝子を対象とすることで、Hox遺伝子の機能について長年明らかにされて来なかった問題の解答を得られないかと考えています。

日本の近代化に貢献した蚕糸業は中国やインドとの価格競争に敗れ、全国の養蚕農家数は500軒以下になったと言われています。一方、カイコ絹糸腺は生きたタンパク質生産工場とも言えるほど高い生産効率を有しており、高付加価値の有用タンパク質を生産するのに適しています。その際、有用タンパク質を水溶性タンパク質と一緒に分泌させることで、精製が格段に容易になります。生物資源研究所との共同研究による今回の結果は、カイコにおける有用タンパク質生産系をより効率的に改善することにも役立つと考えています。

発表論文1: Tsubota T., Tomita S., Uchino K., Kimoto M., Takiya S., Kajiwara H., Yamazaki T., and Sezutsu H. (2016) A Hox gene Antennapedia regulates expression of multiple major silk protein genes in the silkworm Bombyx mori. The Journal of Biological Chemistry 291: 7087-7096. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0021925820429606?via%3Dihub

発表論文2: Kimoto M., Tsubota T., Uchino K., Sezutsu H., and Takiya S. (2014) Hox transcription factor Antp regulates sericin-1 gene expression in the terminal differentiated silk gland of Bombyx mori. Developmental Biology 386:64-71. http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160613006477