フタホシコオロギ ~神経細胞が光る!ライブ感あふれる神経生理学の世界~
外界からの刺激に反応し行動するまでの一瞬の間に、動物の身体の中では何が起こるのでしょうか。行動から、脳・神経の情報処理や運動制御のしくみを解き明かす神経生理学の魅力について、お話をうかがいました。
【Q】=インタビュアー
知りたいのは「行動を制御するしくみ」
【Q】先生の研究テーマを教えてください。
【小川】私たちの研究室では、動物が自分の置かれている環境を認識して適切な行動をとるしくみを、脳と神経のメカニズムから明らかにしようとしています。実験材料には、脳神経系のシステムがシンプルな昆虫を使っています。フタホシコオロギという南方産の種で、は虫類の餌としてペットショップで売られているものです。
動物の行動は、餌を探す・外敵から逃げる・交配相手を探すなどの目的に応じて制御されています。例えば逃げる場合は、できるだけ素早く、かつ正しい方向に動かなければなりません。コオロギは逃げ出すとき、最初の一歩から進む方向を決めて走り出しています。刺激を受けたとき、どんな経路で情報が伝わるのか、そのとき神経はどんな活動をしているのか、脳はどんな計算をしているのか・・・これらを解明しようとしています。
コオロギの全長を貫く巨大な神経細胞
【Q】コオロギはどうやって外敵を認識するのですか?
【小川】コオロギの尾部には尾葉という感覚器があり、ここに生えている感覚毛が気流を感じ取って、信号を巨大介在ニューロン(GI)という神経細胞に伝えます。GIは、太い軸索が腹部の末端から脳までダイレクトに伸びている、つまりコオロギのほぼ全長に当たるほどの長さを持つ巨大な神経細胞です。種によって異なりますが、フタホシコオロギでは1匹に8対(16個)のGIがあります。
コオロギが最初の一歩から決まった方向へ走り出すのは、気流の方向や周波数を検出しているからだろうと予想されていました。私たちはそのメカニズムの1つとして、GIに信号を渡している感覚毛の神経細胞の活動が、気流の方向によって決まった空間パターンを示すことを突き止めました。
神経細胞の活動のようすは、カルシウムに反応して光る蛍光色素で神経細胞を染色して調べます。刺激を受けて神経が活動すると、細胞内にカルシウムイオンが流入してこの色素が発光します。反応が強いほどカルシウムが多く流入するので、より明るく光ります。
【Q】GIは気流の方向検知以外にどんな役割を持っていますか?
【小川】いろいろあると思います。特定のGIの役割を知るためには、まずこのGIをこわして、行動にどんな変化があるかを見ます。たとえば あるGIをこわすと、逃げ始めるときに体をひねる角度が小さくなりました。ということは、このGIは身体のひねり具合の計算に関与している可能性があります。でも、それだけでは不十分で、次にこのGIだけを人工的に過剰に活性化させて変化を確認できれば、ようやく役割を特定できたことになります。
刺激と反応の間にあるもの
【Q】これから、どんなことを目指して行かれるのですか?
刺激と反応の関係は、数学の関数のようなものです。逃避行動なら、いろいろな刺激(入力)に対して走る速度、方向、時間、加速度などいろいろな結果(出力)があります。入力と出力の間にはブラックボックスがあって、その中で何が起こっているのかはわからない。神経科学にはさまざまな分野からのアプローチが行われていて、生物学者だけでなく、医学、ロボット工学、情報理論の研究者も同じ学会に参加します。しかし、それぞれが部分的なメカニズムや限られた行動しか研究していないのが現状で、ブラックボックスの中にどんな回路があってどんな計算がされ、どう統合されて結果を出力するのか、入口から出口までのすべてを見ている人は、まだ誰もいないんです。だから、このブラックボックスを「完全に記述したい」と思っています。
「ものづくりの楽しさ」と「狩猟民族の心」を抱いて
【Q】おもしろい実験装置がありますね。
【小川】これは学生が作りました。発砲スチロール製のボールに下から風を当てて浮きあがらせ、自由に回転できるようにしてあります。コオロギをこのボールに乗せて周囲から風を当てると、逃げようとする動きにつれてボールが回転します。その動きをパソコン操作に使う光学マウスで検出して記録すると、コオロギがどの方向にどれだけ移動したかがわかるようになっています。
私たちの研究室では装置のセットアップが大切で、時間もかかります。限られた予算の中でオリジナルの装置をつくらなければならないので、身近なものを利用して手作りします。みんなで試行錯誤しながらの「ものづくり」は楽しいですね。休日にホームセンターで「これは、こんな実験に使えるかも・・・」と考えることもありますよ。
【Q】神経生理学の魅力は何ですか?
【小川】ライブ感覚が強いこと、つまり生きている動物に「今、そこで起こっている」ことが見えるという点でしょうか。
私はよく学生に「生理学の研究者は狩猟民族だ」と話します。私たちの仕事は釣りのようなもの。魚がかかるとは限らないけれど、餌をつけ、糸をたれて魚が釣れる=結果が出るまで何日もじっと待たなければならない。でも待っているだけではだめで、餌や釣り針を工夫し、糸をたらすポイントも変えてみる必要があります。だからこそ、釣れた時には興奮し、それが病みつきになるんです。 「いろいろな工夫を楽しみ、しかも辛抱強く待てる人」が生理学の研究者に向いていると言えるかもしれませんね。