研究トピックス

メスコオロギオス呼び歌に近づく過程を解明オスへのアプローチはあの手この

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行動神経学系の小川教授らの研究グループは、コオロギを用いてメスがオスにアプローチする行動のメカニズムに関する興味深い発見をし、論文発表しました。北大のプレスリリースでも紹介されているほか、北海道新聞でも紹介されました。以下、小川教授ご本人による詳細な解説です。

 

交配相手を見つけ出しそれに接近して行くことは、あらゆる動物にとって最も重要な行動の一つです。異性を呼び寄せ、接近の手掛かりを与えるために、動物たち(多くはオス)は匂いや音、そして視覚的に目立つ色や装飾などを示します。コオロギではオスが前翅をこすり合わせて音を出し、それが一定の音の周波数と発生パターンを持つ「誘引歌」として、メスに認識されます(図1A)。メスはこの誘引歌に引き寄せられ、オスに近づいて行きます。このメスの行動は「音源定位」と呼ばれ、古くから神経行動学のモデルとして長い間研究されてきました。

 

図1 A: メスコオロギ(左)がオスコオロギ(右)の鳴き声に呼び寄せられる行動(音源定位)のイメージ B: 実験アリーナ C: 70 dBの誘引歌の音源に定位した(点線で挟まれた範囲に達した)メスの移動軌跡。メスは円の中央からスタートし、上側のスピーカーに向かう。円の外側のカラーの点は到着場所を示す。×印は接近フェイズの開始点。D: 定位したコオロギにおける壁に達した時刻を0としたときの音源までの距離の時間変化。×印は接近フェイズの開始点。

 

メスコオロギは前肢にある一対の鼓膜器官で誘引歌を聞きます。これまでは「より大きな音の方へターンする」という単純な反射行動の繰り返しでオスに近づいて行くと考えられてきましたが、それはコオロギにトレッドミルというボールの上を歩かせて調べた結果から推測されたものでした。実際には動物が移動することによって、音源への方向や音の大きさは刻々と変化していきます。また、メスがどのように音源定位を始め、どのような行動を経て音源に近づいて行くかはわかっていません。

そこで我々の研究グループは、遮音した実験室内の円形アリーナを使って音源定位の様子を詳細に観察し、メスコオロギがどのような経路をたどり、どのような運動をして音源にたどり着くのかを調べました。

遮音した実験室内に直径1mの円形アリーナ(図1B)を設置し、その中心からメスコオロギをスタートさせ、同時にアリーナの内側の壁に設置したスピーカーから人工的な誘引歌を流しました。アリーナ全体を実験室の天井からつり下げたビデオカメラで、スタートからスピーカーもしくは壁にたどり着くまでを撮影しました。撮影された映像からメスの位置と頭が向いている方向を自動的に割り出して、その移動軌跡と時々刻々の移動速度や頭が向いている方向などを計測しました。さらに、誘引歌を再生するタイミングや音源位置をメスの位置や運動に応じてその場で変化させ、メスが音のどのような情報を使って音源定位の行動を行っているのかを調べました。

スピーカーから流す誘引歌の大きさを60 dB、70 dB、80 dBの3段階で与えたところ、音が大きくなるほどより多くのメスコオロギがスピーカーの近くにたどり着きました。そこで、スピーカーの近くにたどり着いた、すなわち音源定位に成功したメスの軌跡だけに注目して、音源までの距離の時間変化を調べました。すると、メスはスタート後しばらくはスタート位置のまわりをウロウロします(彷徨フェイズ)が、ある時点から急に音源へ向かって近づいていく(接近フェイズ)ことがわかりました(図1C, D)。また、その近づき始める点はまちまちで、スピーカーに近い点もあればスタート位置よりも音源から遠い点もありました。つまり、その場で聞いている誘引歌の大きさが接近の開始を決めているのではなかったのです。

では、誘引歌を聞き続けたことが「接近フェイズ」を開始させるのでしょうか?このことを調査するため、スタート位置にメスをとどめたまま、しばらく天井に設置したスピーカーから誘引歌を流し、誘引歌を聞いている状態でスタートするメスの行動を観察しました。もし、メスが接近フェイズを開始させるためにある程度誘引歌を聞き続ける必要があるなら、あらかじめ聞いていた場合の方が早く接近フェイズを始めるはずです。しかし、予想とは反対に先に聞かせた場合の方がさまよい歩く時間が長くなり、接近フェイズに入る時間が遅れました。これは天井からの指向性を持たない誘引歌を聞くことによって、メスが音源位置を認識するのに時間がかかってしまったものと考えられます。すなわち、メスの音源定位には少なくとも二つの行動フェイズ(彷徨フェイズ・接近フェイズ)があり、後半の「接近フェイズ」への移行は外部からの刺激に対する単純な反応ではなく、メスコオロギ内部の状態が変化して起こると考えられます。

メスが接近を開始した後まっすぐ音源に近づいて行くのは、音源の方位を記憶しているからなのでしょうか?このことを調査するため、接近フェイズ中に誘引歌を白色雑音に切り替えて、どのような行動をとるかを観察しました。すると、途中で雑音に切り替えたメスでは音源に辿り着ける割合が減っただけではなく(図2A)、終始雑音を聞かせたものよりも壁に辿り着くのに時間がかかったのです。しかも、より頻繁にGo-Stopを繰り返す小刻みな歩行を示しました(図2B)。つまり、メスは音源位置を記憶しているわけではなく、誘引歌を途中で失うと彷徨フェイズとも接近フェイズとも違う、音源を積極的に探している「探索フェイズ」に入ってしまうことがわかりました。

 

図2 A: 終始誘引歌を壁のスピーカーから流した場合(左:CSw-CSw)と、スタートから30 cm離れた地点で誘引歌から白色雑音に切り替えた場合(右:CSw-WNw)の移動軌跡。 B:スタートから30 cm離れた地点で音刺激もしくは音源位置を変化させた場合の全移動時間に対する歩行時間の割合。左から、終始誘引歌を壁のスピーカーから流した場合(CSw-CSw)、壁から流す音を誘引歌から白色雑音に切り替えた場合(CSw-WNw)、誘引歌を流すスピーカーを壁から天井に切り替えた場合(CSw-CSc)、終始白色雑音を流した場合(WNw -WNw)。 誘引歌から白色雑音に切り替えた場合だけ、歩行時間が短くなった。

 

メスコオロギは自発的な歩行か音源定位かに関わらず、歩いたり止まったりを繰り返しながら移動します。そこで、観察しているビデオカメラの動画からメスの運動を検出し、歩行している間だけ、もしくは止まっている間だけ誘引歌を流しました。その結果、歩行中のみでも停止中のみでも定位率はやや落ちるものの、音源にたどり着くことができました。つまり、メスは運動している間も止まっている間も誘引歌の音源方位を認識し続けていることを意味します。さらに、歩行中と停止中に誘引歌を壁もしくは天井に設置したスピーカー間で切り替えて流したところ、歩行中に壁から流した場合の定位率は、壁からずっと流し続けた場合と同程度向上しましたが、停止中の場合は変化しませんでした。すなわち、歩行中に聞いた誘引歌の方が音源定位には重要であることがわかりました。

今回の研究では、メスコオロギが誘引歌をたよりにオスに近づいて行く行動は、単純な音に対する反射の繰り返しではなく、複数の行動フェイズから構成される複雑な過程を踏むものであり、その行動フェイズ間の移行は、外部からの刺激だけではなく、コオロギの内部状態にも依存することがわかりました。より効率的にオスに出会うためには、環境に合わせていくつもの方略を使い分けることが有効ですが、まずなによりもメスが「その気になる」ことが重要なのかもしれません。

我々は、音源定位のほかに捕食者に襲われた時の逃避行動など動物の生得的な行動をモデルとして、状況に依存した行動切替やそのための複数の感覚統合の神経メカニズムに関する研究を進めています。今後は、神経解剖学や神経生理学的な知見を積み重ねることによって、「状況を把握して、それに応じて適切な行動を切り替えるための神経メカニズム」の解明につながることが期待できます。

 

なお、本研究は、文部科学省科学研究費補助金 新学術領域研究「生物移動情報学」の計画研究として実施されました。

 

発表論文:Naoto Hommaru, Hisashi Shidara, Noriyasu Ando and Hiroto Ogawa. (2020) Internal state transition to switch behavioral strategies in cricket phonotaxis behavior. Jounal of Experimental Biology  223:  jeb229732. DOI: 10.1242/jeb.229732(https://jeb.biologists.org/content/223/22/jeb229732